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6/15の活動の振り返り「田村太郎先生にゲストスピーカーとして参加して頂きました!」

松本ひかる 英語コース


こんにちは。同志社大学グローバル・コミュニケーション学部在籍の松本ひかるです。

先日、6月15日に私たち「にじいろ」は、田村太郎先生のご厚意に預かり、田村先生の講義や大変貴重なお話を拝聴致しました。田村先生に「にじいろ」一同、心から感謝を申し上げます。

初めに、読者の皆さまに田村先生のプロフィールを簡単にご紹介させて頂きます。田村先生は、2011年3月東日本大震災を受けて、「被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト(つなプロ)」、「スペシャルサポートネット関西 」の発足においてもご尽力なさっていました。それぞれ代表幹事、世話人を務めていらっしゃったご経験があります。内閣官房が発足した「震災ボランティア連携室」においても企画官にご就任なさっていました。更に被災地のニーズ把握や、震災ボランティア促進のための施策立案に携わった経験がおありです。また、2012年2月より復興庁上席政策調査官として、14年4月からは復興推進参与としても東北復興に貢献していらっしゃいます。田村先生は「多文化共生」のフィールドで大変ご活躍されている方です。そして現在は、「ダイバーシティ研究所」の代表理事も務めていらっしゃいます。

田村先生に関する詳しいプロフィールや、田村先生の「多分化共生」にまつわるご活躍を深く知りたい方がいらっしゃいましたら、是非以下のURLをご参照ください。

<ダイバーシティ研究所>https://diversityjapan.jp/president-profile/

<田村先生のブログ>https://blog.canpan.info/tamurataro/

今回、私たち「にじいろ」が事前に考えていた素朴な疑問や質問に、田村先生が非常に誠実に答えて下さいました。私たちが田村先生に質問した内容と田村先生のご意見を以下に抜粋致します。

質問1.「田村先生は『多文化共生』をどのような定義だと認識されていらっしゃいますか。」

田村先生のご意見

「私は、総務省が掲げる『多文化共生推進プラン(2006)』の表現が最も好ましいと考えています。『国籍や民族などの異なる人々が互いの文化のちがいを認めあい、対等な関係を築こうとしながら、共に生きていくこと。』と多文化共生について書かれているのですね。要するに、日々対等な関係を保って共生できているかを確認し続ける必要があるということです。『今日は対等な関係を築けていたけれども、明日も対等な関係を築けているかどうか』を皆で念入りに確認することを続けます。『多文化共生』に終わりやゴールは無いのです。この理念を念頭に、私が運営する「多文化共生センター 」では、対等に『みんなで一緒に活動する』ことを重視しています。

質問2.「日本の多文化共生が抱えている最も大きな問題とそれに対する活動について教えて頂けますでしょうか。」

田村先生のご意見

「私は現在、総務省の『多文化共生推進プラン』の考案と企図に携わっています。その要点を一部だけ、お見せしながら説明しますね。

1)コミュニケーション支援 (日本語教育と翻訳)

2)生活支援 (日常的な場面で専門的な知識や用語が求められる時に、文化的背景に 配慮して支援を行う。例:医療、教育、労働、防災など)

3)多文化共生の地域づくり (啓発イベントや、外国人住民自身の地域への参画を促す。)

4)推進体制の整備 (担当部署の設置や、部署間の連絡会議等に積極的に参加する。)

5)地域活性化やグローバル化への貢献 (高齢化が進んでいる現状を踏まえつつ、外国にルーツを持つ人たち と共生していく。人口の増加や減少にかかわらず、みんながちがいを受け入れられて、ともに変化する社会をめざす。)

項目1)と2)の内容を中心に答えてくださいました。

東京で「たぶんかフリースクール」を開いています。子どもたちが都立高校に合格できるように多数の外資系の企業の支援も受けながら、勉強の場を提供しています。子どもたちには進路の保証がとにかく不可欠なのです。また京都では、医療通訳のコーディネートをしていますね。

NPO法人として、多文化共生マネージャーの育成とネットワーク形成にも取り組んでいます。多文化共生マネージャーは2019年に550人を超えました。過去の活動では、2009年の東日本大震災で活躍しましたね。どのような活動の中でも「様々なちがいを受け入れて、対等な関係を築きつつ、調和がとれる」ことを心がけています。

私が特に防災にまつわる支援に力を入れて取り組む理由もお話ししますね。阪神淡路大震災後(25年前)には、多言語表示が現在ほど普及していなかったため、日本に住む外国人と通訳者を つなぐ活動を行っていました。その時に電話をかけてきた人たちは災害の時に限らず、普段から困っていることがあったことに気が付きました。それを契機として、多文化共生センターを創設しました。災害の時は自然と多くの人をできる限り早急に救うことが最優先事項になります。ですから、どうしても多様性への配慮が充分でなくなってしまう傾向があります。というのも、普段より もあらゆる人から、念入りに各自一人ひとりニーズを聞くのが後回しになってしまうのです。私はそのような時こそ、『誰一人取り残さない災害避難』を一番に大切にした活動を行いたいと考えます。

質問3.「 発足からのダイバーシティの現状変化について、伺いたいのですが…」

田村先生のご意見

「若い世代は学校で受けてきた教育の環境が、現在の40歳代から50歳代の人々とは明らかに違います。同級生に一人、日本語が分からないお友達がいたかどうかで、『多文化共生』 への感じ方や考え方は変わりますよね。メディアや大人からの主観や偏見などの影響を受ける前に子どもの頃から、対面でいろいろな言葉で話す人たちと触れ合う機会を創ることが重要だと考えます。そういう時代的な背景を考慮すると、若い世代の方が『多文化共生』 への理解は進んでいると感じます。しかしながら、子どもたちの教育の質などの向上は進んでいません。自治体とNPO法人の役割の線引きを強調したいですね。というのも、自治体の役割は方針や予算を決めることです。短期間での異動がある自治体では、『多文化共生』に携わる人材を育成する環境に向いていないからです。これから、専門的な職業として『多文化共生』に関わり続けることが可能なNPO法人や、日本語教育の技術を資するプロフェッショナルが揃うNPO法人を増やす必要があります。」

質問4.「 私たちは大学のプロジェクトも一環として活動しています。一年弱という短い期間に限定されていることを前提に、子どもたちとの交流を通して可能性 を広げるために田村先生からのアドバイスを頂けると幸いです。私たちが子どもたちと接する上で、特に気を付けるべきことも教えていただきたいです。」

田村先生のご意見

「若い方が体力もありますし、子どもたちはお兄さんやお姉さんのような存在の若い人たち と話せることを本当に喜びます。たとえ、活動が単発的で短期間でのみと限られていたとしても、一回の活動を大切にしてください。子どもたちは一回の活動であっても元気が出て、影響を受けることがありますよ。とにかく、実践を大切にしてくださいね。そして、子どもたちと話す実践の中で向き合ってください。人間は誰でも間違えてしまう生き物ですから、時には子どもたちを傷つけてしまうこともあると思います。人生で誰も傷つけない人なんて、私はいないと思います。大切なのは、そういう時に誠実に『ごめんね。』と謝ることができることです。子どもたちの感情の変化を読み取ってその理由が分からなければ、子どもたちに素直に尋ねてみましょう。『多文化共生』について、机の上で勉強あるいは研究を積み重ねても、『私は多文化共生に関して完璧に理解している』と思い込まないことが大切です。」

以上のように、田村先生が私たちの疑問点や質問に分かりやすく答えてくださいました 。私たちもこの貴重な体験を活かせるように、一歩ずつ謙虚に前進していきたいと思います。

田村先生に「にじいろ」一同、重ねてお礼申し上げます。

最後になりましたが、読者の皆様最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

「6/15に田村先生が来てくれました。」

英語コース 松本ひかる

こんにちは。同志社大学グローバル・コミュニケーション学部在籍の松本ひかるです。

6月15日に田村太郎先生が「にじいろ」のメンバーに「多文化共生」について教えてくれました。

多文化共生は「生まれた国や信じていること、話す言葉や毎日の習慣、政治への考え方などがちがう人々がいる」ということです 。

日本にも、「にじいろ」にもいろんな人がいます。だから、お互いの文化のちがいを知りましょう。

しっかり、相手の話を聞きましょう。同じ分だけ、あなたの話も聞いてもらいましょう。みんながお互いに話したいことや叶えたいことを、だまってがまんしない社会にしましょう。

みんなで、話しあって、まんぞくしてから決めましょう。話す前に友だちを選ぶことは、もったいないです。

あなたは『思い込み』や『決めつける心』を持たないでください。ちがいを怖がらないでください。

あなたには「味方」(あなたがすきなひとや、あなたを助けてくれる人)や「敵」(あなたがきらいな人や、あなたを助けてくれない人)がいるかもしれません。

でも、どんな人たちもあなたと同じ人間です。感情(気持ち)があります。

だから、あなたが好きになれない人も、大切に思ってみてください。 2011年3月東日本大震災がありました。地震が起こったら、家から安全な場所へ行きます。

「避難所」は安全な場所だから、みんなが集まります。(近くの学校の体育館などを探しておきましょう。)

田村先生は、日本が話せない人たちのお手伝いしたいと思いました。

そして、電話でいろんな国の言葉を話すことができる人を探しました。

その人たちに日本語を話せない人たちに、代わりに話してもらいました。

実は、電話で話した人たちは「地震の時以外も、日本語が分からないからいつも困っている。」と言っていました。

この活動をきっかけに田村先生は他にも多くの活動をするようになりました。

田村先生に関する詳しいプロフィールや、「多分化共生」について知りたい人は、下のURLを押してください。 <ダイバーシティ研究所>https://diversityjapan.jp/president-profile/ <田村先生のブログ>https://blog.canpan.info/tamurataro/ 田村先生の「多文化共生センター」では、対等に『みんなで一緒に活動』しています。

子どもたちに日本語を教えます。また、いろんな国の言葉の文章を、日本語の文章に変えます。

日本語の文章をいろんな国の言葉に変えます。日本語が分からない人たちの生活支援をします。

例えば、病院や学校、または仕事先で大切な会話ができない時に助けてくれます。

田村先生は、災害(地震)から命を守る手助けをすることを大切なことだと考えます。

田村先生は「多文化共生」の地域づくりで、みんなが参加できるイベントも考えます。そして、日本の政府で働く人たちと協力しています。

田村先生のお話は以上です。

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