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「『できない自分』も好きになろう。」

  • セミナープロジェクト
  • 2020年6月9日
  • 読了時間: 5分

松本ひかる 英語コース


今回は私が 中学生、高校生、そして大学生の現在に至るまで悩んできた体験を共有させていただきます。

私は、両親の「私たちが英語を話せない代わりに、娘は英語が話せるような人になってほしい。」という願いもあって、幼い頃から英語の勉強をさせてもらうことができました。

中学生の時には、米国留学の経験があるホンジュラス人の先生に、英語を教えてもらい「留学して、英語を話せるようなりたい。海外で生活してみたい。」という憧れだけが募っていきました。彼女が日本を去ってしまった後も、私は英語学習を続けながら無事高校生になりました。高校生になり、私の留学願望はさらに強くなっていました。高校生活が少し経過した頃、留学費用をほぼ全額支給してもらえる二年間の留学プログラムに参加したくなりました。海外旅行もしたことがないのにもかかわらず、高校退学を覚悟の上でプログラムに応募しました。母の心配もよそに、試験を受験するも、あっけなく落ちてしまいました。この失敗体験を引きずるも「今留学できなくても、英語の勉強は続けられる。私は絶対にあきらめない。」と決意していました。がむしゃらに、自分に見合う語学力よりも、明らかに上の級の実力英語技能検定(英検)を受験し続けた結果、見事に落ち続けました。私は度重なる失敗を重ねるうちに、苛立ちで家族に八つ当たりをしたことも数えきれないほどありました。心の中で「私はこんなにも努力しているのに英語も上達しないし、留学できないのだろう。理想の自分の姿に近づきたいだけなのに、どうして私の夢は叶わないのだろう。」と自分の理想像に葛藤した高校時代でした。

周りと自分の違いを比べては、「うらやましい。」と感じていました。自分の努力ではどうにもならないことに対しても、何かにつけて「私だけ」損をしていると考え、歯がゆさを感じるようになっていました 。プライドもあったため、態度にこそ表さず平然を装うようにしていました。しかし一方で 、心の中では無いものねだりをするたびに、情けない自分に落ち込んでいました。また、「諦める=自分に負ける」という気がして、自分を良く見せようと必死な頑固者でした。

そんな私にも転機が訪れました。「同志社大学のグローバルコミュニケーション学部では四年間大学に在籍しながら、留年することなく一年間の留学が可能である」という情報を知り、私は再び大学受験に向けて勉強し始めました。

そろそろ、読者の皆様の中でお気づきの方もいらっしゃると思います。私は、「長期留学さえ経験すれば、多少苦労するかもしれないけど、いずれは別人のように英語を話せるようになって国際的に活躍できるようになるはず!!」と信じ込んでいました。

今、私が留学を経験した中で得られたものは「語学力」以上に「自分との向き合い方」です。「異文化交流」を通じて、新たな出会いが私の視野を広げてくれたことも、留学中に得られたものの一つです。言い換えるならば、「理想の自分と現状の自分に大きなギャップがあっても、現状の努力している自分を認める」ことができるようになりました。

「話したいことがたくさんあるのに、上手に説明できない」自分、

「早く新しいお友達をたくさん作りたいのに、空回りばかりしてかっこ悪い」自分、

「ホストファミリーに自分の気持ちを懸命に伝えるも、文化の違いや感性の違いが壁となり、共感を得られず一人で葛藤する」自分、

「今日経験した嬉しい出来事やいろんな不安、不満、悲しさ、葛藤などの感情を日記につづる」自分、

「大学のレポートを必死に仕上げるも、評価されず悔しいと思う」自分など、

思い通りならない自分を丸ごと「まあ、いいか。次、頑張ろう。」と受け入れられるようになりました。

確かに捉え方次第で、この言葉は「諦め」あるいは「自己受容」と解釈できます。留学を経て、「自分の気持ちをコントロールして、頑張る」行為と「自分の限界を超えても無理をする」境界線に見極められるようになりました。焦らずに長い目で、自分が成長することに対して許せるようになったことが大きな変化です。様々な人と関わった おかげで、私の長所は「がむしゃらに頑張ることができる」点ではなく、「良い加減(いい塩梅)を心得て、気長に小さな努力を続けられる柔軟性」であると気づきました。この発見が留学生活の意義だったと確信しています。

更に留学生活の中で、不安や悩みを感じた時にその感情を誰かと共有する重要性を学びました。例えば自分が「できない」ことにぶつかった際には、勇気を出して誰かに相談することが重要です。しかしながら、自分の心を開いて相談する側は不安な気持ちがこみ上げてきます。何故なら、相談内容が深刻であるほど、自分の考え方や感じ方を「完全に」相手にも理解してもらえるとは限らないからです。この「なんとなく」不安な気持ちが相談する気力を阻みます。そんな時に心に留めておくべきことは、「問題解決」だけが相談理由にはならないということです。私は幸運にも「お互いに完璧に分かり合うことはできないけれど、あなたの考えを尊重するよ。あなたの気持ちに共感したいし、アドバイスしてあげることもできる。」と考える優しい人たちにも出逢えました。私もそんな誠実な人になれるように心がけています。

今回、読者の皆さんにお伝えしたかった私のメッセージは、二つあります。一点目は、「失敗する自分を認めてあげる寛大さが自己受容に求められる」ということです。二点目は、「失敗した後に誰かに不安や悩みを分かち合う難しさと大切さ」です。

長文になってしまいましたが最後までご拝読くださり、ありがとうございました。


 
 
 

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