小出千祥 中国語コース
私は「わからない」ということは決して恥ずかしいことではないし、わからないことを人に聞いたり、他人に頼ったりすることも大切だと感じています。しかし、その考えを私は以前から持っていたわけではありません。
高校生の際に所属していた部活動の経験によって、その考えに気が付きました。私は高校二年時にチームリーダーを任せて頂きましたが、私自身責任感やプライドが強かったために、仲間たちに頼ることができていなかったのです。「リーダーとして完璧でいなくちゃ」その考えから、気付けば自分一人で何事も済ませていました。しかしある日、「もっと私達のことを頼ってほしい、わからないことも正直に言ってほしい」と仲間から伝えられたのです。私は人に頼ることによって迷惑をかけてしまうのではないかと、日頃から人に頼ることはなるべく避けてきました。また、周りの目を気にするがあまり、わからないことも知っているフリをして強がることもありました。でも仲間からしたら、頼られることは迷惑でもなく、また強がっている私の姿は何を考えているかわからず、声をかけにくいと自ら壁を作ってしまっていたのです。思い込みやプライドという邪魔なものが人に頼るコミュニケーションを阻害していました。それは中国に留学した際にも、改めて痛感しました。言語交換を行ったパートナーに「わからないことはなんでも正直に言ってね、頼りにしてね」と言われ、やはり国を越えてもその考えは同じなのです。高校時の経験から、今度こそとパートナーを頼りにし、壁を少しずつなくしていきました。
これらの経験から、わからないことが恥ずかしいのではなく、わからないことを「隠す」「そのまま放置する」といったマイナスの行動こそが、恥ずかしい行為だと私は思います。また、常に完璧でいる必要はないのです。わからないことをそのままにする方が、あとで後悔します。「わからない=恥ずかしいこと」といった認識は捨て、素直に誰かに頼ることで、自らの成長に繋がるだけでなく、新しい世界が見えてくることでしょう。
わたしは「わからない」ということは恥(は)ずかしいことではないし、わからないことを人(ひと)に聞(き)くことは大切(たいせつ)だと感(かん)じています。でも、その考(かんが)えをわたしは昔(むかし)から持(も)っていたわけではありません。
高校生(こうこうせい)の時(とき)の部活動(ぶかつどう)の経験(けいけん)によって、その考(かんが)えに気(き)が付(づ)きました。わたしは高校二年生(こうこうにねんせい)の時(とき)にチームのリーダーをやりましたが、わたしは責任感(せきにんかん)やプライドが強(つよ)かったために、仲間(なかま)たちに頼(たよ)ることができていなかったのです。「リーダーとして完璧(かんぺき)でいなくちゃ」その考(かんが)えから、気付(きづ)けば自分一人(じぶんひとり)でぜんぶ済(す)ませていました。しかしある日(ひ)、「もっとわたしたちのことを頼(たよ)ってほしい、わからないことも言(い)ってほしい」と仲間(なかま)から言(い)われたのです。わたしは人(ひと)に頼(たよ)ることによって迷惑(めいわく)をかけてしまうのではないかと、あまり人(ひと)に頼(たよ)ってきませんでした。また、周(まわ)りの目(め)を気(き)にするがあまり、わからないことも知(し)っているフリをして強(つよ)がることもありました。でも仲間(なかま)からしたら、頼(たよ)られることは迷惑(めいわく)でもなく、また強(つよ)がってるわたしの姿(すがた)は何(なに)を考(かんが)えているかわからず、自分(じぶん)から壁(かべ)をつくってしまっていたのです。思(おも)い込(こ)みやプライドという邪魔(じゃま)なものが人(ひと)に頼(たよ)るコミュニケーションをできなくしていました。それは中国(ちゅつごく)に留学(りゅうがく)したときにも、感(かん)じました。中国語(ちゅうごく)を教(おし)えてもらった人(ひと)に「わからないことはなんでも言(い)ってね、頼(たよ)りにしてね」と言(い)われ、やはり国(くに)が違(ちが)ってもその考(かんが)えは同(おな)じなのです。高校生(こうこうせい)の時(とき)の経験(けいけん)から、今度(こんど)こそと教(おし)えてくれる人(ひと)を頼(たよ)りにし、壁(かべ)を少(すこ)しずつなくしていきました。
これらの経験(けいけん)から、わからないことが恥(は)ずかしいのではなく、わからないことを「隠(かく)す」「そのままにする」といった行動(こうどう)こそが、恥(は)ずかしいことだとわたしは思(おも)います。また、常(つね)に完璧(かんぺき)でいる必要(ひつよう)はないのです。わからないことをそのままにする方が、あとで後悔(こうかい)します。「わからない=恥(は)ずかしいこと」といった考(かんが)えは捨(す)て、人(ひと)に頼(たよ)ることで、自分(じぶん)の成長(せいちょう)に繋(つな)がるだけでなく、新(あた)しい世界(せかい)が見(み)えてくることでしょう。