姜尚潤 中国語コース
皆さんこんにちは。最近は新型コロナウイルスの影響でご自宅での自粛期間が続いていると思われますがいかがお過ごしでしょうか。私は専ら自宅で就職活動や卒業論文、そしてこの度授業の一環として携わらせて頂いている「にじいろ」の一員として、子どもたちの補助輪として何ができるのかを試行錯誤する毎日です。
在日外国人と称される子どもたちのことを考えると、私が幼かった頃の悩みが蘇ります。私は韓国日本と生まれと育ちが違うため、様々な問題を抱える彼ら彼女らと境遇がある程度似ていると言えます。今回は私も抱えたように、彼ら彼女らも抱えているであろうアイデンティティの話を簡単にしていきたいと思います。
そもそもアイデンティティとは何を指すのでしょうか。様々な言い方がありますが、ここで簡単に説明をするならば「自己認識」とでも言いましょうか。この「自己認識」とは、私の主観にはなりますが自分とは何者なのかと言う問いに対して自らが違和感なく答えられる、或いは決められている、と言っても良いと思います。私はこの果てしない問題を留学先で更に深掘りすることになりました。
私は中国・北京の北京大学へ10カ月間の留学をしていました。北京という街は思いがけないほどグローバルな特色を持ち合わせていました。大学内は勿論のことながら、所謂コリアンタウンや日本人街などと呼ばれる地域が沢山あり、多種多様な人種が共存しています。しかし、私のような一種中途半端とも言える半端者に関して言えば、グローバルな特色は良いことばかりとは言えません。私はこの留学期間中に沢山の韓国人留学生と出会いました。韓国人だけではなく基本的に国民性はどの人種にも伴っていますが、私は韓国現地で育った彼ら彼女らと交友を築けば築くほど、自身のアイデンティティが不透明になっていくのを感じることになりました。何故なら、私は韓国語が母国語であるので所謂韓国語を話す事は出来ますが、文化的な背景は日本の文化を強く受けているので彼ら彼女らの言葉の文化的背景が分からないのです。翻訳は直訳では成り立たないと言いますが、まさにその通りです。私はその度に彼ら彼女らの優しさから感じる些細な区別に心を痛めました。それは、韓国人だけど韓国人ではないと非常に矛盾した判断を遠回しにされているようでした。私はこのような所謂半端者が悪いとは決して思いません。しかしこの世の在外外国人には深く広い事情が沢山あり、私の知っている事情のほとんどは悲劇によるものです。問題はこの様な区別や差別が歴史的な問題と紐づいており、無意識に刷り込まれるこれらによって、自分で自分を傷つけてしまいかねないという点です。
この様な問題をどの様にして解決していけば良いのでしょうか。それは、私たちの世代の一人一人が次世代の子どもたちに選択肢を広げる手助けをする事だと思っております。何も言動として大きなことをしなければいけない訳ではなく、誰もがこの世界の住人であり、誰もが世界市民として自由に楽しく生きても良いことを少しづつ伝え続ける事が大切だと思っております。
私はこの考え方のもと、次世代の子どもたちが自分の人生を自由に楽しく羽ばたいていけるように、補助輪として支える事が出来たらなと思っております。