英語コース 山田歩
こんにちは!同志社大学グローバル・コミュニケーション学部英語コースの山田歩です。
今回は私が言語を習得する過程で気づいた、異文化を「知ること」の素晴らしさについて書きたいと思います。
まず、「知る」という重要性を知るきっかけになったのは、高校の世界史の先生の夢の話でした。
「私の夢は世界平和です。教師として世界平和に貢献するためには、世界の歴史や現状を子どもたちに知ってもらうために伝えることだと思っています。」
この話を聞いた当時も感銘を受けましたが、英語を学び始めて異文化に触れる機会が増えていくと同時に、先生の言葉が心に染みるなと感じることが多くなりました。
私は高校時代と大学時代に、英語を習得したくてオーストラリアに留学をしました。オーストラリアは数十年前から多文化主義政策を取っており、国民の多数が世界中からの移民のため、日常生活で文化が異なる人と学校や公共の場面で出会うことは当たり前という国です。これまで日本人以外の人と接する機会の全くなかった私が、そのような地でいろんな人に出会って異文化に触れたことで、共通の話題で笑い合うこともあれば、友達としてぶつかるなどといった経験をしました。もちろん文化は違って、考え方や生活様式も違います。でも、みんな同じ人間で、思っていたよりも身近な存在だということを知りました。
留学が終わった今でも、仲良くなった友達やホストファミリーと連絡を取り合ったりもしています。自分と友達の国同士が政治的に対立していたとしても、友達関係が終わることはありません。友達が住んでいる国で災害や不安な事件が起こった時、今やもう私にとって他人事ではないし、現在の世界的な問題であるコロナウイルスに関しても、心配し合える人が世界中にいるということも改めてすごいことだなと思っています。
このような経験は、英語を勉強して、文化の異なる人々とコミュニケーションを取ることが出来るようになり、世界を知り、異文化を知り、相手を知るということから始まったのだと感じています。
最後に、私の高校時代の世界史の先生は「世界平和のために世界を伝える」とおっしゃっていたと述べましたが、私たちが言語でコミュニケーションを取って、世界を知ることで、世界平和のために少しでも貢献できるのならば、世界平和はそんなに難しいことではないかもしれません。だからこそ、「知ること」は素晴らしいと私は思っています。